2016/11/19

noteに引っ越しました

noteはじめました。

最近はこちらをちょこちょこ更新してます
(してなかったりもします)。

2016/07/06

丁寧に書こうと

校正の仕事をすることになるのだったら、早くからやっておけばよかったと思うことがいくつかある。
漢字。英語。ペン習字。

字の汚い校正者というのは言語矛盾ではないだろうか(いるけれど。過去の自分しかり)。

自分の字を見るに、つくづく汚い。

なぜ汚く見えるのか。雑だからだ。角が丸い。隙間だらけ。とっちらかってアンバランスで、つついたら崩れてしまう掘っ建て小屋のようだ。

字が汚いのと、字が下手なのは、どう違うのだろう。

職場の大先輩に呑みにつれていってもらった折に訊いてみた。

どうすれば字が上手くなるのでしょうか。

奥様の話をして下さった。
毎日、ご自分で稽古なさっているのだそうだ。小学生が漢字の書き取りをするように、新聞を書き写す。

とにかく、丁寧なんだよね。丁寧に書く。丁寧に書くのは誰でもできる。

丁寧に書こうとつとめてみた。丁寧に書いても線はふるえ、棒は傾いで、掘っ建て小屋はあいかわらず頼りない。

あれから何年経ったろう。

字が上手くは、まだなっていない。もしかしたらならないままかもしれない。どんなに丁寧に書いても、根本的に美しくならない。ため息がでる。
それでも集中して、丁寧に書こうとつとめる。

丁寧に書こうとした字は、下手であっても、汚くは転ばないのではないかと思いたい。

2016/07/01

フィジカルな校正

夢中で本を読んでいて、左手の中の残りページがどんどん減って薄くなっていくにつれ、「ああ、もうすぐ終わってしまう……」というさびしさが膨らんでくるあの感じは、電子書籍では味わえない。読書には身体的な体験が含まれている。


校正の仕事にも、身体的な一面がある。

文字を読み、ひとつひとつの言葉を検討し、どんな指摘を出すか考えるのは頭でおこなっているけれど、身体的におこなっている校正というのもある。

たとえば、ゲラを読んでいて「この名前、前にも出てきたな」と思うとき、何ページの何行目、というふうに思い出すわけではない。

「パラパラパラと数ページかさかのぼって、右ページの右下、すみっこらへんにあったはず」

というときの「パラパラパラ」はゲラをめくる親指で、「右ページの右下、すみっこらへん」は一葉(見開き2ページ、もしくは1ページ)のゲラをひとつの画面としてとらえたときの印象で記憶している。巻物のように区切りがなくどこまでも続いていく電子書籍を、PCやタブレットの画面をスクロールさせて読んでいたら、こうはいかないだろう。

電子書籍ならデータを検索できるじゃないか、と言われるかもしれないけれど、検索しなければならないからこそ電子辞書は使わないのだ、と言いたいときもある。

正直、ひとつのキーワードで検索をして、複数の検索結果の中から自分が求めるひとつを特定するまでにかかる時間より、紙の辞書をぱっと開いてパラパラパラとめくって該当する言葉をぴたりと目がとらえるまでの時間のほうが、短かかったりするからだ。調子がいいときは辞書をぱっと開いたそのページに探している言葉が載っていることだってそれほど珍しいことではないのだから、ぱちぱちキーボードを叩いたり液晶をなでまわすより、はるかに手っ取り早い。

逆に、検索できたらなぁ……と思うこともある。

ゲラの中に出てきたたった一行の引用の出典を確かめるために、何百ページという大著をひっくり返さなければいけないようなときには、正直、「電子プリーズ!」とは思ってしまう。

ゲラの束と山のような資料を鞄につめこんでうんうん言いながら移動しているときにも、「電子いいなぁ……」と思わないわけじゃない。

同じ「本」といっても違うものなのだから、比べようがないんじゃないか、ということ。

ワニの真贋を問わない

まだ使えるけれど要らないものが溜まっていた。
ハンガー。ごはん茶碗。マッサージ器具。買い物するとくれるエコバッグ。
偽物のワニのマークがついた靴下。謎の額縁。

ある日曜日の朝、思い切って
「ご自由にお持ち下さい」
と書いた紙をはった木箱に入れて、家の前に置いておいた。
数時間後、木箱はきれいさっぱり空になっていた。
踊り出したいくらい心が軽くなった。
大リーグ養成ギブスというのをはずしたらきっとこんな気分なのだろう。
所有していることがそんなに負担だったなんて。

使い終わった調味料の空きびんが捨てられないのに、
靴下一足持ち続けていることをつらく感じる。
そもそもどうして靴下は発生したのか。
偽物のワニのマークがついた靴下。
夫の実家から送られてきた。
義母はたぶん、ワニに本物と偽物があることも知らないのだろう。
へんてこな顔をしたワニ。
一度もはいていないから捨てられないと言われた。
ヴィンテージと呼ばれるまで待つ気なんだろうか。

世の中には靴下のワニが本物か偽物かなんて気にしない人もいる。
満たされないと感じることがあまりなさそうだ。
私はいつも満たされない。
満たされないときは買い物をする。
ワニの真贋を問わなくていい生き方に憧れる。

2016/04/22

買うという読書

有名な片づけの本を読んだら「本は買った時点で役割を終了したと思ってよい」というようなことが書いてあった。

本は読み終わらないと手放せないと思っているけどそんなことはなくて、買ったときの高揚した気持ちも読書である。だから、たとえ積んだままになって読み終わることができなくても、手元にやってきたことでその本を買った目的は達成しているのだから、安心して手放してよいのだ。

うろ覚えなのでいろいろ違っているかもしれないけれど、少なくともわたしの中にはこのような形の考え方として残った。

で、どこでどのように本を買うかということも、どこでどのように本を読むかということとおなじくらい重要だと最近思い始めている。

とっておきの本は、静かな休日の午後、お気に入りのカフェで、誰にも邪魔をされず静かにページをめくりたいと思うように、買うときだってそういう「特別大事に買う感じ」がほしい。

荻窪にできた書店Titleに通うようになってから、とりわけ強くそう思う。
Titleはものすごく広くもなければ、ものすごくたくさんの本が置いてあるわけでもない。
でも、一冊ずつ見ていくと「どれを買おうかな……」という気持ちがむくむくと起こってくる。
一冊一冊の本の声が、よりはっきり聞こえてくるような気がする。

会計のあとで、併設のカフェでコーヒーや紅茶をたのんで買ったばかりの本をあける瞬間がたまらなく好きだ。
同じように買ったばかりの本をカウンターに積み上げて、メニューも見ないで注文をすると、ページをめくり始める人たちの背中を眺めているのも。

そんな情景ごと、買った本を家に持ち帰っているような気がする。
買うことも読書という体験の一部なのだ。

2016/04/21

東京に生まれると故郷がない

キラキラネームなどという言葉が生まれるずっと昔から、名前では苦労してきた。

「都子」と書いて「さとこ」。

初見で読めた学校の先生はいない。
病院やお役所では「みやこさん」でも「いくこさん」でもとりあえず返事をする。

東京都の「都」から一字を取ったと、父は言う。弟は「東」をもらった。

では妹がいたら「京子」だったのかと訊いたら、「そんなわけがないだろう。京都から取ったと思われる」と一蹴された。

「都子」がどうして東京都の「都」であって京都の「都」ではないのか、私にはわからない。父の言う理屈は大抵私には理解できない。

東京に生まれると、故郷がない。

「東京」という名前が包括するもの、附随するものはあまりに多く、巨大すぎる。もはや東京を故郷と呼ぶことなどできない。東京は「みんなの」東京であって、「わたしの」東京にはなりえない。

「○○生まれ」
とプロフィールに書くことのできる人をうらやましく思う。

私も自分だけの故郷が欲しい。

荻窪・6次元で行われた「『みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2016』企画発表会 & ディレクターズトーク」に行って思ったこと。

2016/01/02

ランナーの履歴書(2016.1.1 ver.)

2009年の5月、31歳で走り始めた。

越してきたばかりの吉祥寺で
知り合った友人のひとりが
2007年に始まった東京マラソンを走っていた。
吉祥寺ビアホール(現・戎ビアホール)で呑みながら、
せっかく近くに大きな公園(井の頭公園)
があるんだからみんなで走ろう、
そして大会に出よう、
と「ノリ」で1ヶ月後の横田基地駅伝にエントリーした。

定額給付金でランニングシューズを買い、
週末の朝6時半に井の頭公園に集まって
練習が始まった。
最初は弁天池を1周(約1.6km)しただけで息が切れ、
男子についていけないのが悔しくて
平日の朝早起きして自主練を始めた。
吉祥寺のNike路面店では
モデルの長谷川理恵や陸上の為末大が
イメージキャラクターを務める
ランニングウェア「iNDiRUN」が展開されていて、
その前年に発売されたNike+SportBandを手に入れた。
専用シューズにセンサーチップを入れて走ることで、
腕時計型のSportBandに走行距離やペース、
消費カロリーが記録され、
USBでPCに転送もできる。
走った分だけNike+のデータが増えていくのが楽しくて
目についた大会に片端からエントリーした。
2012年3月には第1回京都マラソンで
初めてのフルマラソンを完走し、
47都道府県のご当地マラソンを走るという
目標を立てた。
2015年には年間1233km、155日走った。

2016年、走り始めて7年目。
フルマラソン大会への出場は、
2月の福島・いわきで10回目になる。
iPhoneアプリに移行したNike+では
マラソン友達と走行距離やペースを競い合い、
ときには同じ大会に出場することもある。

『走ることについて語るときに僕の語ること』
(文藝春秋、2007年)
を書いた村上春樹は、65歳をすぎたいまも
走り続けているという。

私は何歳まで走れるだろうか。
あといくつの都市を走れるだろうか。